キャッチーを科学する

ペギラとゴモラでヒゲダンス

整理と依存とチョコレート


このあいだ整体みたいなことをやってくれた人に「いろんなものを溜め込みすぎてるよ、インプットした分アウトプットしてったらいいと思うよ」みたいなことを言われたのをきっかけにブログを書き始めました。人に言われたことは可能な限りやってみる性質というか、素直さってある程度大事やん? そしたらちょうどいいところに登録したけど放置してるブログあるじゃんという。しかしキスマイのコンサートの感想書き殴ってそのまま放置してたブログを使い回すこのかんじ、なかなかええやろ?
相変わらずキャッチーは科学しないしまじで自分の話したい話だけを書き殴っていくよ。あと溜め込みすぎてるいろんなものというのはストレスとかそういうのです。決してスピリチュアルな話ではないです。そういうのもきらいじゃないけど、いや怪しくないよまじで。

ほんとうは誰かに話すのが手っ取り早いしわたしに合ってるしでいちばんいいらしい、とはいえわたしがしたい話は誰がこんな話聞きたいんだよ?みたいな話ばかりだしわたし自身が話すのも聞くのもへたくそで辟易することもたくさんあって、まあそんなかんじなのでやってみて合わんければやめるみたいなつもりで。

整体の人に言われてからここ数年を振り返ってみれば、なるほどたしかに常に情報やら知識を仕入れることに一生懸命になりすぎていてぜんぜん外に出すことをしていなかったなあと。なにごともやりすぎはいけないのだよな。ごちゃごちゃな脳みそでうまいこと考えられるのか?と言われたらそうでない気もするし。そりゃあいろんなものが滞りまくることこの上なしよねとも思う。生きていると毎日誰かしらの言動や行動からなにかしらの気づきを得るなあ。まじでありがてえ。みんなもっといろいろ教えて。


はたちを過ぎたあたりから自分が書いた文章を褒められることが多くなって、自分ではあんまり文章を書くのが得意だとかそういう風に思ったことはなかったけど、褒められるのは素直にうれしい。まあでも高校以前の友達に会うとだいたいツイッターの話をされるんだけど大学以降の人たちはそうでもないのでこれは単純に更新頻度の問題では?とも。わたしの更新頻度は一般的なところからすればおそらく高い方ではあるから自然と目に止まるんだろうと思う。だいたいツイッターに書くことなんてそのとき思った一瞬のことを書き留めていたりそのときハマっていたり好きなもののことをわあわあ書いてるだけなので、その話をしたとき「それツイッターで見た!」と言われるとわたしの思考が見透かされているようでなんかうれしいような恥ずかしいような不思議な気持ち。インターネットに乗せてる時点で見透かされてるもなにもないんですけどね。あとこれを書くにあたって2、3年前ぐらいに書いてたブログを読み返してみたけどたしかにそれはおもしろくはあった。たかが2、3年前のことなのに若さも相待ってなのかいろんなことがすごいテンションで書き連ねてあって我がことながらこいつ大丈夫か?と思いました。

知っている人に読まれるかもしれないことを前提としているといろんなひとの顔が思い浮かぶもので、それで何度となく内容を改めたり言葉を選んだりする。アウトプットするにあたって邪魔になるのでは?誰も知らないところで書きなよ、みたいなことを言われたんだけど、でもなんとなく不特定多数に向けて放たれるのは恐ろしい気がする。これに関してもインターネットに乗せてる時点で、とは思うんだけど、それでも不特定多数と特定多数はぜんぜんちがうんだよなあ。外の世界に出て行くの、そして自分を主軸になにかしらを発信するの、めちゃめちゃ怖くない?
あと単純に、自分の中のうっすらとした自己顕示欲がそうさせるんだとも思います。


そういえば整体してくれた人との話の中で仕事をもりもりこなしたあとにメルティーキッスを一口食べたら脳みその中でドバッとなにかしらが分泌された気がしたことを話したらチョコレートも麻薬も同じ快楽の神経回路を通るんだかなんだからしいことを教えてくれた。依存性があることにはあんまり変わらんと。糖質がないと人間生きてけないからな!チョコレートだいすき人間なのでいつかチョコレートに脳みそぶち壊される日がくるのかもしれんね。なにごともやりすぎ食べすぎよくないですね。